親を責めてはいけないのかもしれないけれど
今は、まとまった文章が書けないので引っ掛かった箇所だけメモ。
親を責めてはいけない−臨床してて思うこと(精神科)
これは「診察室でうつむいてしゃべらない患者さんに」対して、勝手に彼女の気持ちを想像して言葉に出してしまったことが問題なんじゃないのかな。自分の気持ちが整理できず、なおかつそれを言葉にできない時に、先回りして気持ちを言葉にされたら「すごく困った表情を浮かべる」しかないような気がする。
そして「親を否定することは、彼女自身を否定するに等しい」じゃないと思う。親の行動を否定することは、彼女が親の指示に従おうと努力してきたことを否定するに等しいんじゃないかと。
これも少なくとも私の中では違和感がある。
これでは、いつまでたっても「お母さんの問題=彼女の問題」になってしまうんじゃなかろうか。私は主治医に「それは、あなたの問題ではなくてお母さんの問題だよね」と言われて、ほっとしたことがある。母親には母親の問題があって、彼女には彼女の問題がある。彼女が彼女自身の問題に向き合えるようになることが目標のひとつなんじゃないかな。
確かに自分で自分を肯定するのは、すごく難しいけれど、いずれはやっていかなくちゃいけないことだし。
母親と子どもの関係というのは、すごく密着したもので、成長するに従って離れていかなくちゃいけないんだよね。「お母さんはお母さん。私は私」って。
で、その過程は、その人によって様々で、「これ」と決め付けられるものではないと思う。いろんな人に接して、いろんな人の考えを聞いて、それを消化して自分で見つけていくものだと思うんだけれどな。医者は、その手助けをしてくれればよいのであって。
それとも、これが専門家の手法というものなのかなあ。う〜ん、分からない。
親を責めてはいけない−臨床してて思うこと(精神科)
診察室でうつむいてしゃべらない患者さんに
「君のそういう気持ちをわかってくれないなんて!」
「君のお母さんはひどいな!」とか話してしまった。
患者さんはすごく困った表情を浮かべて、
それがよくわからなかった僕は先輩にそれを伝えたら、
烈火のごとく怒られた。人格レベルで駄目出し。
今思えば、すくなくても彼女の周りで彼女のことを
一番一生懸命考えていたのは親。
たしかに親が彼女を追い詰めた一面はあるけど、
親の指示に従おうとして彼女は苦しんでいて、
親を否定したいんじゃなくて、親にわかってほしいだけだった。
だから、親を否定することは、彼女自身を否定するに等しい。
これは「診察室でうつむいてしゃべらない患者さんに」対して、勝手に彼女の気持ちを想像して言葉に出してしまったことが問題なんじゃないのかな。自分の気持ちが整理できず、なおかつそれを言葉にできない時に、先回りして気持ちを言葉にされたら「すごく困った表情を浮かべる」しかないような気がする。
そして「親を否定することは、彼女自身を否定するに等しい」じゃないと思う。親の行動を否定することは、彼女が親の指示に従おうと努力してきたことを否定するに等しいんじゃないかと。
だから僕は患者さんの女の子の気持ちを汲みながら
彼女にお母さんを大切する方法を教えるべきだったんだと思う。
それが彼女自身を大切にする方法だから。
これも少なくとも私の中では違和感がある。
これでは、いつまでたっても「お母さんの問題=彼女の問題」になってしまうんじゃなかろうか。私は主治医に「それは、あなたの問題ではなくてお母さんの問題だよね」と言われて、ほっとしたことがある。母親には母親の問題があって、彼女には彼女の問題がある。彼女が彼女自身の問題に向き合えるようになることが目標のひとつなんじゃないかな。
確かに自分で自分を肯定するのは、すごく難しいけれど、いずれはやっていかなくちゃいけないことだし。
母親と子どもの関係というのは、すごく密着したもので、成長するに従って離れていかなくちゃいけないんだよね。「お母さんはお母さん。私は私」って。
で、その過程は、その人によって様々で、「これ」と決め付けられるものではないと思う。いろんな人に接して、いろんな人の考えを聞いて、それを消化して自分で見つけていくものだと思うんだけれどな。医者は、その手助けをしてくれればよいのであって。
それとも、これが専門家の手法というものなのかなあ。う〜ん、分からない。

NoTitle
まず、先回りして気持ちをしゃべられて、それが的を射ていたりその人にとっていい話ならば、ああいう顔にはならないので、やっぱり親を否定したのはまずいという指導を受けました。
次に、彼女自身の努力を否定するのに等しいというというところは、いい捉え方をさせるなあと思ったのですが、実際の彼女は、そこまで自我のしっかりした人ではなかったので、そう書きました。
最後に、自分で自分を肯定することを目指すというのは、まさしくそのとおりなのですが、それには長い時間がかかり、過渡期の扱いが大切になるというのが僕の考えです。精神科に来るくらいこじれた感情がうずまいている場合、親御さんが自分の子どもの一面しか見れなくて、「責め」てしまいがちになります。自我のしっかりしてない女の子でしたので、駄目な子!と見られると萎縮して駄目な振る舞いしか出来ず、親と一緒に悪循環にはまっていました。
ふつうは、「なんて親だ」という感じで患者さんを守り、患者さんと1対1の関係の中で自立できる力をつけさせようとしますが、いかんせん彼女自身が親を頼る傾向が強かったため、関係を治療するという形で治療されていました(先輩が)。
治療って「ない」ものを作り出すのは極めて難しくて、患者さん自身がもっているものをつかって行います。この方の場合、親のいうことは頑張るという真摯な親への思いがあったので、(逆にいうと、親から離れてやっていきたいという思いはなかった)それがきちんと機能するように取り組み、自立しようという思いが育つまで、自宅で頑張れるよう働きかけたということです。
長々と書いてすいませんでした。