明けぬ夜の夢

泣いたり後ろ向きになることもあるけれど 少しずつでも歩いていくよ

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自己言及的であること

 精神科の診察は、「話すこと」がメインなんですが、自分の思うままに話していると、いつの間にか他人の悪口になっていることが時々ある。で、そういうときは主治医に軌道修正されます。

 「僕は○○さんの話を聞きたいわけじゃないよ。自分の話をして欲しいな」という感じで。

 他人の悪口というのは、大抵「誰々がああしてくれない」とか「誰々が分かってくれない」とか「誰々がこう思ってる」ということなんですが、それを言うと大抵「他人の考えは変えられるわけないじゃん」と言われてしまう。…その通りなんですが。

 まあもっとはっきりと「病気になったことを周囲のせいにしているうちは、何の解決にもならねーよ」と言われることもある。これ、時と場合によるのですが。

 主治医は「自己言及的であること」「自己肯定できること」、この二つを、よく言います。自己言及していくと私はどうしても自己否定に走ってしまうので、この二つを両立させるのは、けっこう難しかったりする。

 これは性被害のことを話すときも同じで、確かにあなたはひどい目にあった、あなたが悪いわけじゃない、でもその出来事をどう受け止めていくのかは、あなた自身の問題なんだと。

 それは確かにそうで「私が悪かったんじゃないか」と思うのも「自分」だし、「私は悪くない」と思うのも「自分」なんだと感じる。

 自己言及的である、ということは、自分に対して「どうして?」を繰り返し問いかけることで、それはそれでしんどい作業だと思う。どうして自分が悪いと思ってしまうのか、どうしてあのとき逃げなかったのか、違う、あのときは逃げられなかったんだ、それはどうして?

 私は一時期「どうせ誰も分かってくれない」「みんな私のことを軽蔑しているんでしょう」という考えになってしまったことがある。主治医が「そうじゃないよ」と言っても「聞く耳もたない」時期があった。今思えば、そう思う時期というのは必要だったのかなと思う。

 人のせいにするというのは、楽なんだと思う。自分のことを考えなくてよいのだから。もちろん何もかも自分のせいにすればいいということでもないのだけれど。でも、いつかどこかで気付く。このままではダメだって。それは他人に、こうなんだよと言われるのではなくて、自分で気付いていくものなんだと思う。

 「あなたが悪いんじゃない」と、どれだけ他人が言ってくれたとしても、最終的に自分自身が「私は悪くないんだ」と思えるようにならないと、本当の回復にはならないんだと思う。それが主治医が常々言っている「答えは、あなた自身の中にあるんだよ」ということなのかなと思う。

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